2ntブログ

「1日1個ギャグを考えた」アースマラソンで凱旋の間寛平さんに聞く

 マラソンとヨットで世界を一周する「アースマラソン」に挑戦中のタレント、間寛平さん(61)が4日、ヨットで福岡に到着した。約2年ぶりの帰国。同日午後、陸路で大阪に向けて出発する直前の寛平さんを囲んでの一問一答は次の通り。

 --帰国の感想は

 「ほんとうに皆様のおかげでゴールできました。これからは皆様に恩返しをします」

 --到着後に「卵かけご飯が食べたい」といわれていましたが、帰国後の初の食事は

 「豚骨ラーメンでした。めちゃめちゃうまかったです」

 --途中、船酔いがひどかったと聞きました。

 「船の揺れがすごくて、青島を出港してからずっと嘔吐(おうと)してました。スタッフが食事を作ってくれても胃が受けつけてくれず、ほぼ飲まず食わずで帰国しました」

 --外国でギャグは受けましたか

 「アメリカでは『パンプキン』のギャグがめちゃめちゃ受けました。6月には生中継もあり、子供たちに大いによろこんでもらいました。ただイランはだめでした。特に下ネタは、ぜんぜん受けませんでした」

 --走りながら何を考えていましたか

 「いろんなことを考えていました。1日1個のギャクを考えました」

 --途中でやめようと思ったことはありませんか

 「まったく思いませんでした。地球は小さな星だといわれていましたが、走ってみるともう全然。ものすごくでっかい星やと分かりました」

 --家族にはどのように声をかけましたか

 「嫁には『ようがんばったな』と。本当に苦労をかけ、申し訳なかった」

 --がんが見つかって、ご家族とも現地で会われました

 「嫁がイスタンブールに来て、一緒に病院検査を受けました。症状が重い場合は、嫁は僕を日本につれて帰る気だったみたいですが、僕は死ぬ覚悟で走るつもりでした。神様には転移していないようお祈りしました。転移がないと分かったときはほんま感謝。薬を飲みながらでも走れると聞いたときはものすごくうれしかった」

 --道中に忌野清志郎さんの訃報もありました

 「亡くなったときいたときは頭の中が真っ白になりました。病状がそんなにひどいなんてまったく知りませんでした。旅立つ前に、アースマラソンの歌を作ってほしいと頼み、出発の1カ月前に曲が届きました。ものすごくうれしかった。曲を聴きながらマラソンを続けていました。福岡のヨットハーバーに入ったときは、『清志郎、日本についに着いたぞ!』と叫びました」

 --道中、どこの国が一番つらかったですか

 「アメリカのペンシルベニア州が一番きつかったね。アップダウンが続くんです。ロッキー山脈を登るときは、さあ登るぞって覚悟できるんですが。ペンシルベニアは登ったと思ったら降りて、また登って…の繰り返し。足も悲鳴を上げました」

 --はきつぶした靴も相当な数では

 「アメリカだけで40足以上のシューズをはきつぶしました。50足以上は確実でしょうね。1足で最長1064キロを走りました。かかとが破れて、石ころがはいってくるんです」

 --着替えなどは

 「洗濯は自分でしてました。アメリカではあまり洗濯をせず、汗をかいたシャツを車内で干し、乾いたらまた着るの繰り返し。相当くさかったみたいでスタッフにえらい迷惑かけました。ある国のせっけんはできが悪くて、泡がなかなか立たなかったけど、洗濯の腕は上げました」

 --目に焼きつくような大自然の美しさに接したこともありましたか

 「洋上でみた虹はきれいやったな。イランを走ったときの光景は…火星やったな」

 --いよいよ大阪までのラストラン、どんなことを思いながら走りますか

 「絶対泣くでしょうね。サングラスで涙を隠して走りたいです。皆さんのメッセージが支えで本当にここまで走れました」

ここで、「感動をありがとう!」とか言えばいいんだろうけどさ、なんだろな
素直に言えない何かが、ある・・・。


関連記事

Comment

Comment Form
公開設定

Trackback


→ この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)